「そんなの、わかるわけないじゃん。」
子ども同士の衝突があったとき、ある子がそうつぶやいた。
確かに、育った環境も価値観も違えば、簡単にはわかり合えない。
けれど私は、その「あきらめ」にこそ、強い違和感を覚えた。
── わかり合えないからこそ、対話が必要なんじゃないか?
── 違うからこそ、つながろうとする営みに意味があるのでは?
現職時代、私はそんな問いを胸に、道徳や特別活動で「対話的な関わり」を重ねてきた。
子どもたちが自分の言葉で思いを語り、相手の声に耳を傾ける中で、関係が変わっていく。
正解を出すことより、安心して「ちがう意見」を出せる空気。
それが、学び合いの土壌になると実感していた。
そして今、私は学校を離れ、「学VIVA」という学びの場で
対話型読み聴かせという実践を届けている。
ただ物語を読むのではない。
「主人公はこのとき、どんな気持ちだったんだろう?」
「自分だったら、どうする?」
そんな問いかけを交えながら聴き合うことで、子どもたちは物語の外側にある“自分と相手の世界”を広げていく。
さらに、大人には「知行共育講座」という対話の場を開いている。
教育に関わる大人たちが、自分の価値観や教育観を言葉にし、
「どんな未来を子どもに手渡したいか」
「そのために、自分はどう生きるのか」
——そんな本質的な問いを、互いの違いを尊重しながら語り合っている。
「違っていい」だけでは足りない。
違いを活かし合える関係こそが、これからの社会に必要だ。
対話は、その入口になる。
私は信じている。
対話を重ねた子どもたちは、きっと声をあげられない誰かに寄り添える大人になる。
共感と信頼の循環が生まれたとき、分断ではなく希望を紡ぐ社会が動き出す。
ここ、学VIVAから。
あなたも、この対話の輪に加わりませんか?


